■得丸公明 ライブラリー  

 

 

三鷹天命反転住宅体験入居の記

■■■ 言霊の力の源泉は、心臓の鼓動だった!? ■■■     得丸公明

{21}


 





 

 

 

 

 

 

 















 






 

 














 












 






 

 





 


















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1.はじめに  
2年前からずっと、荒川修作+マドリン・ギンズの設計した三鷹天命反転住宅に住みたい、住みたいと思っていたが、先立つものもなく、悶々と暮らしていた 学生時代からお世話になっている西垣内弁護士を通 じて知り合いになった、心導ヒーラー倉富和子さんとは、昨年いっしょにこの住宅を見学し、荒川さんと西垣内弁護士の対談にも同席した。
行動派の彼女が、昨年末からこの202号室の住人になっていたので、7月にお住まいを見せてもらいに伺った。
「私に先を越されたと思ったでしょ。やっぱり住んでみると、違うわよ。得丸さんも、頭の中で考えてばかりじゃあなくって、住んでみるといいわよ」と発破をかけられたのだった。
この夏、3階の部屋が賃貸になった。八方手を尽くして、検討してみたが、やはりお金がない状態はどうしようもない。
そんなとき、荒川さんの講演会が8月19日に天命反転住宅であったときに、倉富さんに「今度一度泊めてください」とお願いしたところ、まもなく海外にひと月ほど行くので、留守中に芸大の学生と交替で使ってもよいというお許しをいただいたのだった。
 8月27日月曜日夜から、金曜日朝にかけて、会社は木曜日の一日だけ休暇をいただき、あとは普通 に出社するという条件で、天命反転住宅に住んでみて、体験したこと、思ったことを報告する。

2.家の使用にあたっての心構え  
この家を使用するにあたって僕が思ったこと。  
この家についての知識や難しい美術や哲学は全て忘れて、一方で、世間的、文明的な常識も全て忘れて、自分と家という二つの現実存在がいったいどういう具体的な関係を生むかということだけに注目することにした。要するに、頭をまるっきり空っぽにして、そこで何が生まれるかを見てみよう、何かが生まれてくるまでじっくり待ってみようと思った。
もちろん、養老天命反転地のときと同様に、「使用法」は最大限尊重してきちんと読み従うつもりだった。
文明が生まれる以前の段階、具体的にいえばこの4月に訪問した南アフリカの中期旧石器時代遺跡であるクラシーズ河口洞窟を訪れた旧石器人の気持ちを自分自身がもつように心がけることとした。したがってできるだけ文明の利器や仕事や本は持ち込まない、使わないつもりだった。

3.クロノロジー


■ 8月27日

1)19:00
定時に会社を出て、南北線飯田橋乗換えの東西線で三鷹までいき、そこからさらに中央線でひと駅の武蔵境駅に行く。
武蔵境の駅からバスにのって、天命反転住宅に着いたのは夜7時少し過ぎだった。
僕にとって、今回の天命反転住宅は、今年4−5月の連休のときに訪れたクラシーズ河口洞窟と同じ旧石器洞窟という位 置付けだった。
だから、万一、部屋に芸大院生である大崎さんが待っていてくれなかったら、電灯を点けるのをやめようと思いながら家に近づいた。家に着くと幸いにも灯りがともっていた。
部屋に入ってから10分ほど、日記の書き方、ゴミ出しや掃除のやり方について、引継ぎを受けて、大崎さんが帰ると、一人になった

2) 19:15
まずは家をよく見てみようと思った。
4月の南ア取材のときに買ったニコンD40を三脚に装着して、いろいろな向きから、室内を撮影する。ストロボを発光させたり、発光禁止オートで長時間露出したり。
裸電球が3つついていた室内の電灯を邪魔に感じたので、3つとも消した。球形の書斎の中の電灯がついていたので、それも消すと、すべて消灯。
 ぐるぐると部屋の中を回りながら写真をとっていく。エアコンも邪魔に感じたので切った。

3) 19:50
まだ家に入って40分ちょっとなのだけど、けっこう疲れた気分になる。食卓に座って、食卓の電気スタンドを点灯して日記を書くことにした。
バッグの中から自分用のタオルケットと枕代わりのバスタオルを取り出してきた。ひと風呂(この家にはシャワーしかないが)浴びると気持ちよいのだろうけど、旧石器時代の洞窟にはシャワーはないのだからと、我慢する。

4) 20:00
食卓のスタンドを消して、再び消灯状態となる。これからどうしようと考えてから、タオルケットとバスタオルを抱えた状態で、今日の寝場所を決めることにした。  一番寝心地がよさそうに見えるのは、蚊帳の下あたり。このゆるい傾斜のあるデコボコの床が僕を誘う。
蚊帳をたくし上げて、蚊帳の中に敷いてあった薄手のマットレスを折りたたんで部屋の隅におく。デコボコの床と自分が直接接するようにして、横になって、寝る位 置を決める。セルフタイマーを使って写真を撮る。(僕が写っている写真は、当然のことながら、セルフタイマーを使用。最初は10秒を使っていたが、後に20秒に変更した。)
床のデコボコにうまく体を合わせて横たわると、床の冷たさがとても心地よい。

近所の犬の吠え声がする。夜のジャングルの動物たちの声ではないけど、野生の狼を先祖に持つだけあって、少しだけだけど荒々しさを感じさせる声だ。  とくに何もしていないのに眠気が襲ってくる。一度このまま寝てしまおうか。

5) 20:45
車の流れがやかましい。(後でわかったのだが、書斎の窓がひとつ開いていた。)
だからというわけではないのだが、先ほどから、重力の働きと床の不思議な吸引力によって、体は床にへばりついているのだけど、意識は眠っていなかった。  自宅の妻から電話。特に用事はないが、様子を聞きたいと(この後一度もかかってこなかった。要するに、無用なオヤジなのかもしれない、僕は)
もう電気を消して寝ていると説明すると、「ずいぶん怠惰な家だわねェ」。家が怠惰なのか、僕が怠惰なのか。
せっかく旧石器洞窟のつもりで篭っているのだから、携帯も切っておけばよかったと反省もしたが、これは仕方ないか。

両足のふくらはぎの内側の筋肉が、少しだけ温かくなっている気がする。床と接触している体の部位 は、床からマッサージを受けているようだ。朝までに適当に寝相を変えれば。起きたときは体全体がスッキリということになるのかもと、思う。
洞窟暮らしだから、昼食を食べたきり何も食べず、何も飲まないで篭っている。歯だけブラッシングして、顔は水洗いした。
時折、食卓のスタンドを点灯して、こうやって日記を書いている。

6) 21:24
書斎で寝てみる。  玄関を出て一瞬廊下に出てみる。秋の虫の声が聞こえた。
台所のくぼんだところを通り抜けてみる。  そうだ、使用法を読もうと思う。食卓の上においてあった家のカタログの間に使用法が挟んであったのを見つけて、球形の書斎の前に立って、声に出して読んでみる。大きな声で読めば、頭が理解できなくても、体が理解してくれるかもしれない。
車の音が気になる。ヘレン・ケラーのように敏感にならなければならないときに、うるさい。

7) 21:53  廊下に出るとほぼ満月が見えた。今夜は14夜みたいだ。
南から北に吹き抜ける風が心地よい。少し窓を開けてみる。家の中は蒸し暑い。右足の親指の付け根のあたりの骨が少し痛む。まだこの固い床の歩き方をマスターしていないのだろう。  ポコッと、ししおどしのような音がする。何の音だろう。
北側の窓から、すごいスピードで走り抜ける自動車が見える。

8)22:21
室内をブラブラする。天井と柱を見ながら、この部屋の基調はオレンジとグリーンなのかなあと思う。
グリーンの支柱につかまってみる。後でわかったことだが、実際のところ、これは支柱ではない。柱の上は固定されているが、下は固定されておらず少しグラつく。支柱ではなく、つかまり棒と呼ぶべきかもしれない。
グリーンのつかまり棒を片手または両手でつかんで、体をぶらぶらさせて遊ぶのは、けっこう気持よい。何百万年か前、僕たちがジャングルに住んでいたときの記憶が残っているのだろうか。  食卓に戻って日記に向かうと、それまでグリーンの棒と、オレンジのハシゴしか目に入っていなかったのに、台所のテーブルからレモン色の柱が天井にまで伸びていることに気づく。  
車の通りが少し減ったときに、コオロギの声がかすかに届く。
少し疲れを感じたので、再び蚊帳の下で寝ることにした。スタンドの灯りを消す。

さきほど音読した使用法には、「床を構成する小山の1つ1つを、ピアノの鍵盤、木琴、あるいは小さな太鼓と見なしましょう。」、「床は、これからキーボードとなっていくものなのです。いったい、どんな楽器のキーボードになるのか考えてみましょう。時には、足ばかりではなく、手でもキーボードを使いましょう。あるいは全身でキーボードを演奏するというようなことをやってみましょう。」とある。
素直に使用法に従って、仰向けになって大の字に寝て、足の裏、手の平、手の甲、お尻を動かして、床をパーカッション楽器のようにたたいてみたら、けっこう楽しかった。
食卓もたたいてみた。自分の体もたたいてみた。
足を伸ばした状態で、寝たままふくらはぎで床をたたく。膝を曲げて足の裏で床をたたく。両手の平で自分のお腹を、あばら骨を、頭を、顔を、楽器のようにたたく。真向法あるいは自彊術のような健康体操にもこういった体をたたく動きはなかったっけ。少なくとも合気道の準備運動には、体
の各所を手の平か拳で軽くたたいて回るものがある。
足の裏で床をパタパタとたたきつつ、手は自分の体を打楽器のようにたたく。
ごくごく自然に足や手がパタパタと動いている。床と自分は、打楽器という点で相似している。  しばらく眠る。体をなめるようにして、少し生暖かい風が通り過ぎていく。

■ 8月28日

9) 02:00
目がさめると、さきほどの続きで、再び手足がバタバタと床をたたき、体をたたいてしまう。この部屋は、コンサートホールみたいだ。だんだんと意識も身体も目覚めてくる。

昨日、お昼ご飯を食べたきり何も食べていないがお腹はすかない。トイレもまだ使っていない。ここに来て水一杯飲んでいない。初めてこの家とお付き合いするから、体が緊張しているのだろうか。
こんな深夜でも、車やトラックやバイクがひっきりなしに走りすぎていく。(後で気づくのだが、書斎の窓が一枚開いていたから、音が侵入してきたのだろう 。)

ポンという鹿脅しのような音がたまにする。1時間に1回くらい。あれはどこから聞こえてくるのだろう。
使用法に動物になったつもりで歩いてみるというのがあったので、四つんばいになって移動してみる。
少し横になって休む。すると、足が、まるでなにかの霊が憑いたかのようにパタパタと床をたたく。
こんな毎日を送ったら、きっと健康になるだろう。

10) 3:00
シャワーを浴びるための石鹸を買うためにコンビニへ行く。ついでに飲み物や食べ物を買おうかとも思ったがまだ切実ではないので、とりあえずやめておく  帰りに横断歩道で前方を軽ワゴン車に轢かれそうになる。前を見ていなかったか、歩行者がいても気にせず突っ込んでくるのか。ほぼ満月だ。こんな遅い時間までお仕事をしておられて、ご苦労様とも思ったが、ヒヤリとした。
月はほぼまん丸、ほぼ満月だ。近代文明は人間を奴隷にすると、先週合宿で取り上げた保田與重郎の「絶対平和論」に書いてあったことを思い出す。
玄関脇で水がポタリポタリと落ちる音がしていた。3階の温水器のあたりからか。

1 1) 3:15
シャワーを浴びる。
床を箒ではく。
少し疲れたので、今度は球形の書斎で寝ることにする。

1 2) 6:00
車の音がうるさいと思って、書斎で目がさめた。
夢はいろいろと見た気がするのだけど、目覚めとともに忘れてしまった。
再び、両足が球形の壁面に沿って、ダンスをするかのように動き出す。なんとなくくれよんシンちゃんの「ケツだけ星人」のケツだけダンスを連想する。  
足を追っかけるように、両の手も床?だか壁?をたたいているその後、両手の平で、胸、腹、手、足、頭、顔、全身をたたく。その間、約30分。
食卓に坐った状態で胸をたたいてもあまりいい音がしないのだけど、横たわってでこぼこの床に寝ている時はまるで太鼓のように鳴りがいい。まるで太鼓の演奏集団の鼓童みたいだ。ぺたっと平面 の床に寝ていたら、やはり音の質感が違うのだろうか。

起きてすぐに「悟りとは、あまり食べないこと、お酒を飲まないことだ」という思いが浮かんできた。昨晩、晩ご飯を抜いたことで、お腹が空洞になっているからいい音がしているのかもしれないとも思った。

室内とベランダの花に水をやる。ベランダに通ずる低い窓の外側に水を入れたペットボトルをおいているので、その水をやる。ペットボトルを置くときには、注意しないと窓枠で頭をぶつけやすくなっている。なぜか二度も軽くぶつけてしまった。  
玄関とベランダのドアを開放して風を通す。

人間太鼓をたたいているところの写真をセルフタイマーで撮ろうとするのだが、いまひとつ絵にならない。ビデオのほうがよかったかも。
グリーンの棒やオレンジの梯子にサルのようにぶらさがっている場面を撮影する。自動だと逆光になる。ストロボを強制的に発光させるのに少し手間取ってしまったが、いろいろといじっていたら、カメラが希望通 りの動きをしてくれるようになった。ありがたい。

13) 7:40
そろそろ今朝のお暇をこの家に告げるときがきた。
蚊取り線香用の灰皿に、お線香を一本たてて、香りをたてて、しばしの別 れの準備だ。汗まみれのポロシャツを脱いで、ワイシャツに着替えなければ。
名残りを惜しみつつ、ぐるぐると家の中を歩き回る。やがてひげをそり、着替えをして、職場に向かう。7:55

■ 8月28日

1 4) 23:00
名古屋から友人が出張してきたので、品川の居酒屋で最終の新幹線まで話し込んでいた。
中3のお嬢さんが登校拒否しているという。彼の仕事が忙しくなり、職場の人間関係が複雑になった時期と重なるのが気になったが、とりあえず養老天命反転地を訪れることを勧めた。
武蔵境からタクシーに乗って家についたらちょうど11時だった。
電灯を点けないまま、玄関とベランダのドアをひもでひっかけて固定して開放し、梯子の近くにある窓も開けた。

北の東八道路から涼風が吹き込んでくる。
電気ポットに水を入れて沸かしているとき、台所の丸イスに座って玄関から外を見ていたら、カップル(誰だろう、3階の住人だったか)が部屋の中を覗き込んでいったので、「こんばんわ」と挨拶したが、返事はなかった。
前日同様、蚊帳の下の床に地下に、バスタオルを枕として、タオルケットにくるまって、パンツ一枚で寝た。


■ 8月29日

15) 1:30
夜中に寒くなってきたので、玄関とベランダのドアを閉める。
この土間に直接寝るのは、血行によいような気がする。
またたくさんの夢をみたけど、何も思い出せない。怖い夢は見なかった。

16) 5:00
目がさめる。徐々に体も目覚めていく。体は仰向けの状態。
はじめは、足先が床のでっぱりやくぼみをさがして、ゆっくりと動き始める。
2本のバチでドラムをたたくように、木琴を鳴らすように、ガムラン(インドネシアの楽器)を演奏するように、両足は揃ったり、ばらばらになって動いていく。ついで、手もいっしょに動き始める。床をたたき、それから胸をたたく。
今日は、新しい動きとして、体をひねって、足を交差させて、わき腹が床につくような格好になったところでわき腹や背中をたたいていた。
小一時間も演奏しただろうか。
お白湯に砂糖でも入れて飲もうと思って引き出しをあけると、生姜湯のパックがあったのでいただく。
再び玄関とベランダのドアを開放する。

今日は曇りだ。食卓のスタンドのみ点灯する。車の音は昨日ほど気にならない。耳が慣れてきたのか。雨のほうが道路との摩擦が少なくて静かになるのだろうか。  

昨日はセルフタイマーを10秒に設定していたが、それだとちょっとあわただしかったので、今日は20秒に設定を変更してゆとりをもつことにする。

17) 6:40
初日の晩は右足の親指の付け根の裏側が少し痛かったのだが、2日目になって足(体)が床との付き合い方を覚えたようで今日はまったく大丈夫だ。
つま先立ちして部屋の中を歩き回る。前後にフラフラと歩いてみる。走り回ってみる。まったく平気だ。
突然、子供のころ、地面にかかしの絵を描いて、ケンケンパーをして遊んだなあと思い出す。最近そんな姿は見ない。そもそも土のスペースがないし、子供たちが自由に遊ぶ雰囲気もなくなっている。

18) 7:30
トイレを使っているときに流すザ・ピーナッツのCDをかけながらシャワーを浴びてきたら、なんか脱力してしまい、食卓と球形の書斎の間のでこぼこのくぼみに体を入れて横になって寝たらとても気持ちよかった。
しばらく寝た後、腰を浮かせて腰を左右に動かす腰動法の体操が自然に始まった。なかなか気持ちよかった。

今日は、洗面所とトイレ・シャワールーム、卓上スタンド以外の照明は使わなかった。エアコンも使わずじまい。書斎には一歩も足を踏み入れなかった。  いってきますと家に別れを告げる。7:50


■ 8月29日

19) 21:25
今日は吉祥寺の月窓寺道場で合気道のお稽古を2時間して、21:08吉祥寺駅南口発のバスで大沢まで帰ってきた。(乗車時間約20分)2時間多田先生の横面 打ちの呼吸・四方投げ・入り身投げ・小手返しなどの技をみっちり稽古したので、結構疲れてしまった。
でも今日はそれほど暑くなかったのに、いつもよりたくさん汗をかいたような気がする。天命反転住宅に2泊したことが影響しているのだろうか。

20) 21:35
家に帰り着いたが、昨日同様、灯りを点けずに入り、しばらく蚊帳の下に疲れた体を仰向けに横たえる。足の裏がでっぱりを楽しんでいるのがわかる。

21) 21:45
このまま寝付きたい気もしたが、翌々日の朝の稽古のために、道着の洗濯にとりかかる。
また、お湯を沸かして、今日、職場の近くのスーパーで買った乾燥生姜、砂糖、即席春雨スープを台所の机の上に広げて、何を食べたいかと自分に聞いてから、生姜湯を作った。

22) 22:00
再び蚊帳の下に横になっていると、洗濯機の排水がすぐ側のパイプを使って流れる音が、まるで小川のせせらぎのように聞こえた。
背中をつけて仰向けに寝て、それから右のわき腹をつけて横向きに、左のわき腹をつけて横向きに、胸と腹をつけて足の先を立ててつける。
どの姿勢も床の冷たさが心地よい。

球形の書斎の下の部分に3−4cmも水がたまっていた。いったい何があったのかと思ってみたら、窓が一枚開いていて、昨夜の雨が振り込んだ模様。バケツと雑巾をもってきて、水を吸い取った。幸いにして、ローソクが入っている紙ケースが濡れてぶよぶよになっていたほかには濡れたものはなかった。

道着と下着とそれぞれ洗濯して、干したら、24時になってしまった。いつものように、パンツ一枚になって蚊帳の下の床の上に直接寝た。


■ 8月30日

23) 5:00
目がさめる。たくさん夢を見たけれど、みんな忘れた。
今日はうつ伏せになって寝ていた。これからどうなるのだろうかと思って待っていたら、両足のつま先が床と対話を始めた。
はじめはゆっくりと、ひとつひとつのでっぱりを確かめるように、そのうち段々とリズムが出てくる。2本のスティックで、ガムランを演奏するかのような動きを始めた。

しばらくすると手も動き出す。はじめは近くの床をまさぐっていた。これも最初はゆっくりと、しだいにリズミカルに。

うつ伏せになったままの状態で、自分の頭をコツコツとたたく。首の付け根をたたく。少し首をもたげて、能の小鼓のように額と後頭部を前後からたたく。  足を交差してわき腹を床につけてわき腹をたたく。体の向きを変えて、逆のわき腹を床につける。

仰向けになって、胸や腹をたたく。心臓の鼓動とも合奏だ。
拳骨で、平手で、指先で。それに合わせて、両足が床をける。足先で、足裏全体で。音楽を奏でるように。両足をぶらぶらと宙に浮かせて、両の手で両足をはたく。

私の体はこの時、この家と極限的に似ている状態にあるといえるのだろうか。

足の動きをゆるめ、止めて、手は体をさする、なでる。肋骨の間に指を立ててみる。
とにかく気持ちよいことはなんでもやってみる。

25年くらい前に、パウロ・フレイレやアウグスト・ボアールのことを紹介していた国学院の先生や学生達と民衆演劇ワークショップに参加したときに習った「キュウリもみ」体操を思い出す。

全身をキュウリと見立てて、トントンと手刀で頭の先から足の先まで薄切りにする、なでるような動きで全身に塩をまぶしてよくすりこむ、全体をよくもむという3つの動きの体操だった。  こういう体操ならば、家の中の子供部屋で引きこもっている子供たちにもできる。(床が平らだと体が喜ばないかもしれないけど)
彼らはそれに少し食べ過ぎだから、体が動きにくいのではないだろうか。それとも、心が凍結してしまっているから、体の動きもゆっくりになるのだろうか。
親は、子供に三度三度ご飯を与えてはいけないのではないだろうか。

体を動かしながらセルフタイマーで写真を撮る。体を動かして、このポーズ気持ちいいと思ったところで、カメラのところにいき、セルフタイマーをオンにしてシャッターを押してくる。

24) 7:00  
気がついたら、もうすぐ7時。少し眠いのでタオルケットにくるまって、蚊帳の下で寝た。今度の夢はよく覚えている。
大分の実家にいる僕を訪ねて、僕はその人のことを知らないのに向こうが僕を知っているというおじさんが、仕事を定年になったといって訪ねてくるのだ。おなかがすいたというので、母に頼んで朝ごはんを出してもらうという夢。めずらしく夢の内容が消えない。
目が覚めると少しだるい。これは昨日の昼以来、ご飯らしいご飯を食べていないからではないか。体が夢を通 じて、何か食べなさいと僕に教えてくれたのではないだろうか。体も心も素直になってきているのかもしれない。

25) 8:50  
外に出て、コンビニでサンドイッチとクスクスープ(スープにクスクスが入っている)を買ってきて食べながら日記を書く。今日は会社から有給休暇をいただいて一日ここに篭る予定。
宗教的な生活とは、祈る行為も大切かもしれないけど、あまりたくさん食べないということ、節度ある生活を送ることも大事ではないだろうか。

26) 9:00 - 12:40 (休憩:10:45-11:15)  
作務として掃除にとりかかることにする。倉富さんのためにも、この家のためにも。

床を箒ではき、窓ガラスを拭いただけだが、3時間近くかかってしまった。
掃除をしていて気づいたこと。  この家は、壁も天井も、たまに雑巾がけしてあげると喜ぶのではないだろうか。だけど、どうしたら、天井を拭けるだろう。でこぼこの地面 でも使える脚立と、天井にフックでひっかける安全ベルトを使って、ビルの窓拭きみたいにすればよいだろうか。

掃除をしながら、マイレージを集めるために最短距離で旅行をしないマイレージおじさんの時間の使い方はもったいないなあとか、カラオケにいって懐メロをただ懐かしいというだけの理由で歌うのは嫌いだなあとか思ったけど、詳しいことはまた別 のところで。

27) 12:40
掃除のときに、倉富さんがヒーリングで使っているマットレスを物置に一時的に移し、蚊帳の三つの隅を外して一隅にまとめたので、だいぶ室内がすっきりした。
掃除のときに見つけた倉富さんの「「心導」ヒーリング」の本を読むことにする。最初は元蚊帳があったところの床に寝そべって背中のツボをでっぱりで刺激しながら、途中からは立ち上がってグリーンのポールを片手でつかみながら、体をぶらぶらさせて読んだ。
倉富さんの本、人類が進化して直立二足歩行になったから、体に余計な負担がかかってしまってそれをほぐす必要が生まれたという話は、納得できるものだった。ヒーリングで人を助けたいために、小さな子供を二人連れて家出をしたという行動力、ダイナミックな人生には驚いた。

28) 14:20
本を読み終わって、やることがなくなったので、部屋の中を歩き回る。蚊帳とマットレスを片付けたおかげで歩ける場所が広くなった。  
スキーヤーがこぶとどう付き合うかということを思い出した。初心者は、こぶがこわいから、なるべくこぶのないところ、こぶとこぶの間を選んですべる。上級者になると、こぶがあろうがなかろうが、気にせずうまくすべれるようになる。  
この家にきて四日目で足はどこにでも対応できるようになってきている。瞬間瞬間に床の形状と、脚の接触箇所の関係性を意識の上で関係構築して、無事に次の一歩へとつないでいく。  スキーヤーがこぶを楽しむように、足はこの床を楽しんでいる。

29) 15:15
お腹がすいたので、コンビニでおにぎりを2つかってくる。エレベータ前の廊下に土が少したまって黒くなっているところが気になったので、モップで拭いた。

30) 15:30  
やることがないのと、少し疲れたので、元蚊帳のところで、タオルケットにくるまって寝ていた。

31) 16:00
三鷹市井の頭に住んでいる元会社の同僚である堀田君が、近所の自動車ディーラーに立ち寄ったついでに、家を見にやって来た。
「僕は、経済性と合理性とでしかものごとを考えることができなくて、わが身を恥じるよ」というのだけで、この家にあまり興味を示そうとしない。単に経済や合理に興味を示さない僕へのあてこすりだろうか。 「床に寝てごらんよ、気持ちいいから」といったら、「どうやって寝るの」と聞くので、僕が率先して元蚊帳のところに寝てみせた。「君はその書斎と食卓の間に寝たらいいよ。」
彼は素直に書斎の前に寝転んだ。
「本当だ、冷たくて気持ちいいねえ」という。
「靴下をぬいでごらん。もっと気持ちよくなるから。」
 彼は自ら体を動かして、わき腹を下にし寝相を変えてみていた。
 
「書斎でも寝れるんだよ」というと、球体の書斎に入って、横になっていたけど、「ここはあんまりおもしろくない」といってはやばやと出てきた。
30分くらいいてから帰るというので、玄関まで見送って「またおいでよ」といったら、首を傾げて帰っていった。

32) 16:30
堀田君が帰ったので、一人で球体の書斎の中に入る。
球面に体を合わせて、グルグルと体を磁石の針のように回転させてみた。
これで何かが起きたわけでもないのだけど、何回か回って止まったところで、朝と同じように足をパタパタと動かして球面 の床(壁?)をたたいてみた。
手が床をたたく。腹、胸、足、頭をたたく。胸をさする。ピチカートのように乾いた音がしないかなと思ってあばら骨に指をあててみたけど、期待した音はしなかった。
この部屋の中は、音の響きがいい。僕の演奏は、けっして人様に聞かせることのできる音楽にはなっていないけれど、音感があってリズム感もある人がやったらそこそこの音楽になるのではないだろうかと思った。
手足の音に合わせて、声も出してみた。長い息を出しながら、オーオーオーオーオーと音に抑揚(?、音階?)をつけてみた。全部で2−30分遊んでみて休憩。

雨だ。雨音が聞こえてきた。  明朝の合気道の稽古のために道着がまだ乾いていないので、窓を全部閉めて、三日ぶりにエアコンを除湿、28度に設定して2台とも動かす。
いつもの元蚊帳で横になったら寝入ってしまった。

33) 18:30
一時間ほど寝ただろうか。
コンビニで日記をコピーするために家を出た。  ABRFの松田さんに窓越しにご挨拶する。
コピーをしたあと、小腹がすいたので、交番で定食屋はありやと尋ねてみたら、「あったら俺が使っているよ」という答えだった。
東八道路を府中方面に歩くとラーメン屋があるというので、歩いてみたら、3軒もあった。でも、ラーメンを食べたい気分ではなかったので、自然食品店の棚を覗いて、何が心に訴えかけてくるかなあと探ってみると、果 物と味噌だった。りんご、即席味噌汁、発芽玄米粥を買って帰ってくる。
りんごを食べた後で、「そうだ、照明を点けた状態で、この部屋を撮影してみよう」と、三脚とカメラを抱えて道に出た。
何枚か写真を撮影し終わってから、せっかくセルフタイマーの使い方にも慣れてきたから、自分も入れてみようと思いつく。
最初は、おとなしめに直立の写真。それから長崎の平和祈念像のように片手を上に、片手を横にというポーズ。それから両手を上げたポーズを撮ったところで、ああ、そうだ、202号室を僕が支えている構図も撮ってみようと思いつく。
かつてブラジリアを都市建築ワークショップで訪問したときに、あのオスカー・ニーマイヤーの代表作である国会議事堂のお椀を伏せた形と、お椀を普通 においた形を、遠近法で合成して撮影したことがあったことを思い出して、同じ手法を使うことにした。
何回か試行錯誤した結果、まずまずの写真を撮ることができたと思う。

34) 21:10
球形の書斎の入り口から中を覗いていたら、舌打ちが始まった。
舌打ちがだんだんとリズミカルな音楽のようになる。  それから体がジャンプを始めた。両手で球体の入り口付近を持ち、両足を揃えて体が飛び跳ねる。

以下は、やや余談になるが、地球上に約6000種類あると言われている人類の言語は、もとをただせばすべて10万年前に南アフリカで話されていた一つの言語に行き着くとされている。言語を統計的に分析するとわかるのだという。
そしてもっとも古い言葉というのが、南アフリカのブッシュマン(サン人)の言葉(コイサン語と呼ばれている)であるが、この言葉の特徴はクリック(舌打ち)が多用されるということである。現在でも、コイサン語や、その影響を濃く受けているズールー語やコサ語などにはクリックが多く含まれている。
クリックは、肺から口への空気の流れである肺気流を使わなくても音が出せるところに特徴がある。人類最初の言葉がクリックであるとすると、まずクリックによる言葉が生まれて、その後で肺気流を使う言葉が生まれたというふうに考えられないか。人類は最初に舌打ち音でコミュニケーションを始めて、その後で母音や子音を使った音声言語を生み出した。
10万年前というと人類は洞窟に住んでいた。この時代に、はじめにクリックを使った言語が生まれて、それが進化して肺気流を使った音声言語へと発展した可能性はないだろうかと思っている。

最古の人類遺跡である南アフリカの東ケープ州にあるクラシーズ河口洞窟では、今から13万年前から6万年前までの人類の居住が認められている。
この中で、クリックによるコミュニケーションがまず始まった。それは、胸や腹をたたくという行為の延長にあったのかもしれない。
それから、人類は暇をもてあまして、女性の発情期がなくなり、頻繁に性交を行うようになった。外敵がいない安全な洞窟内の環境で、それまでの後背位 から体面位(正常位)に変わり、その結果として口と口を合わせてキスするようになり、また目と目が合って気持ちを通 わせたいという思いが強まった。
その結果、肺気流を口から出せるように、喉頭蓋が後退したのではないだろうか。

(さらに参考まで) ニシローランドゴリラのドラミング(神戸市・王子動物園、オス ヤマト、メス サクラ) http://eizo-clip.jp/pod/zoo/zoo007.mp3
ビデオ http://www.tobezoo.com/animal/book/animals/monky_town/gorilla.htm#d01

35) 21:30
さきほどのジャンプ+クリックの後で、食卓について日記を書き終えると、両足が机の支柱を挟み込むように蹴飛ばして、タタタ、タタと5拍子のリズムをとり始めた。  この5拍子には、体の他の部位は誰も追随しないかに見えた。
ところが、いったん休憩した後、再び両足が支柱を蹴飛ばし始めると、今度は両手の平が両太ももをたたき始めた。
それから指先が食卓をたたきはじめ、つづいて拳骨でたたきはじめた。

(言霊の力の源泉は、心臓の鼓動ではないだろうか)
僕が今経験しているのは、概念あるいは概念作用というものが生まれる前の言葉なのだろうか。
だとすれば、それは、心臓の鼓動と密接な関係をもっている気がする。
言葉に魂が宿るという言霊の思想の背後にあるもの、言葉・ことば・コトバが、我々の生命と結びついているとしたら、それはそもそもの発生において心臓の鼓動、脈拍、心音とつながっているからではないのか。
逆に言えば、鼓動や脈拍や心音と素直に結びついていない言葉は、言葉本来のエネルギー、生命力を持っていないということになるのかもしれない。うそやでまかせ、いわゆる公式見解や公式声明、聞いているだけでウンザリしてくるゾンビたちの言葉は、鼓動と結びついていない。心音が聞こえない。
テレビのバラエティー番組で、状況を説明するときにしばしば使われる「再現ドラマ」がしらじらしいのも、同じような理由で言葉が死んでいるのかもしれない。

それから両足が親指の腹の部分で支柱をたたいている。今度は足の5本の指を全部使ってたたいていて、違った音がしている。はじめは支柱の根元のほうをたたいていたのだが、今度は上のほうをたたきはじめた。
ついで、両足の裏を合わせる、拍手ならぬ拍足がはじまった。
球体の書斎の前に移動して、拍足。それから立上がって球体に向かって拍手して、共鳴音を楽しむ。それから球体の中に入って、拍手と声。アーアーアーアー、オーオーオーオー、それから拍手をやめてオーオーという声のみを出す。自分の声の共鳴に自分が包み込まれる

36) 22:30
今夜は球形の部屋の前が片付いたので、そこで寝ることにする。元蚊帳のところよりも、少し傾斜が急であり、体に圧迫感がある。
疲れていたからすぐに寝付くかと思っていたのだが、そうでもない。
寝付けぬなら、何をするのだろうかと思って待っていたら、また胸をたたきはじめた。

今日は僕一人だけだからいいけれど、他に人がいたらどうするのだろうかと考えをめぐらしたところ、他の人と合奏すればよいのだとひらめいた。

今から10万年前、旧石器人たちは、クラシーズ河口洞窟(第3号洞窟)の100m以上も奥へと続く細長いトンネルの中で、それぞれに自分の寝やすい場所に陣取って寝ていたと思われる。
彼らは眠れないときに、各自が胸や腹をたたいてドラミングをしていたということはありえないことだろうか。一人のドラムに他の人が調和して、ドラムの合奏が広がっていったということはないだろうか。
アフリカといえば、太鼓というイメージもあるではないか。

そういえばゴリラも胸をたたいてドラミングをする。群れで生活しないから合奏することはあまりないだろうが、それでも二匹や三匹がいっしょにドラミングしていたこともあったかもしれない。
チンパンジーはどうだろう。チンパンジーもドラミングをするのだろうか。(ネット検索してみたところ、野生チンパンジーの観察において、ドラミングは常に観察されているようだ。)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/gifu-poke-web/img/psj/23th_episode.pdf

もしかして、人類は洞窟生活を始める前からドラミングをしていた可能性もある。ゴリラが合奏をしなくても、社会的動物である人類は、かなり早い時期から合奏を楽しんでいたかもしれない。


■ 8月31日

37) 4:50
何度か途中で意識が覚醒したのだが、まだ暗いからとまた寝入った。
夢で、アメリカの軍の関係者の教育風景を見た。新入兵だか、軍需産業の若手を、教育するために黒人女性をメインとするインストラクターたちが、整然と教室のほうに導いている光景だった。
男は前線で戦闘行為、女は銃後で教育活動。この国は完全に戦争経済で回っている。United War States. USAではなく、UWSだなと夢の中でつぶやいた。  なぜこの夢だけ覚えていたのかは、わからない。

少しずつ体が動きだす。仰向けに寝ていたのだが、うつ伏せになり、足のつま先が床と対話を始めた。ついで指の先が、周囲の床と対話。
仰向けに戻って、上半身を半分起こして、ぐるぐると回す。  上半身を床につけて、両足で拍足。
足裏を床にべったりとつけて、膝を曲げて脚を「く」の字にして、拍脚。両脚は、180度近く開いて床につく寸前から、真ん中でぴったり合わさるまで、わりと早いペースで開いて閉じてを何度も繰り返す。

次に両手の5本の指を、はたきのように使って、全身を頭の先から足の先まではたきがけした。やさしくやさしく、ピチカートのように、軽くリズミカルにたたく。  どうすれば体が気持ちよく感じるかを常に意識して、体が満足するまで同じところをはたく。

体をひねって、右腹を床に、左腹を床に、つける。
途中、太鼓どんどんのドラミングも混じったが、今日の朝は、軽やかなピチカート、はたきかけが中心だった。
約1時間これを続けて、着替えて、合気道の朝稽古へと向かったのだった。


■ 8月31日

38) 昼休み
会社の会議室で床に寝転んでみた。平たい床は楽しくない。体がそういっているのがわかる。手も、足も、動き出す気配がなく、こんな平たいところじゃあ踊れないよといっていた。


s■9月1日

39) 9:00
自宅から最寄りの駅まで約20分の道のりを歩いていたら、道路の脇にある植え 込みの仕切りとか、ガードレールの上とか、家の塀の上とかが気になってしかた ない。それらの上を、歩いてみたくて仕方ない気分になった。子供の時分の気持 ちがよみがえったようだ。
明らかにこれは天命反転住宅の影響だ。体全体でおもしろい場所を求めてようになったのだ。

   

三鷹天命反転住宅体験入居の記  Part-2
■■■ もう美術館の時代は、本当に終わったのかもしれない ■■■



鷹天命反転住宅体験入居の記 Part-3
■■■ 
新しい文明を作り出すとき ■■■

『平たい床こそ間違っている!』 三鷹天命反転住宅で自然と共存する意識をつくるとき




■得丸公明 ライブラリー  







{3} {13} {23}


 

    

 

 

 

 

 

 

{24}




{25}
{6} {16} {26}
{7} {17} {27}
{8} {18} {28}
{9} {19} {29}
{10} {20} {30}

(C)Copyright 2001 MILESTONE ART WORKS, All Rights Reserved.

著作権について:
MILESTONE ART WORKS及び作家が提供するこのウェブサイト上の文書、画像、音声、プロ
グラム などを含む全ての情報を、著作権者の許可なく複製、転用する事を堅くお断り致します。